東京地方裁判所 昭和60年(ワ)14553号 判決 1986年7月18日
原告 馬場清一
右訴訟代理人弁護士 須網隆夫
同 塚原英治
被告 菊地光友
主文
一 被告は原告に対し、金三二六万円及びこれに対する昭和六一年一月一四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実
第一 原告は、「被告は原告に対し金三四六万円及びこれに対する昭和六一年一月一四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。
一 原告は、昭和五九年三月八日、被告から被告所有の大田区蒲田四丁目四八番六号所在の鉄骨造二階建の建物(一階店舗二五・三八平方メートル、二階住居二五・三八平方メートル)を次の約定により借り受けた。
使用目的 飲食店(うどん屋)営業
期間 昭和五九年三月八日から三年間
賃料 一か月金一八万円、毎月末日限り翌月分支払
保証金 金四〇〇万円
二 原告は右同日、保証金として金四〇〇万円を被告に預託した。
三 原告と被告は、昭和六〇年八月三一日、右賃貸借契約を合意解約し、原告は同日右建物を被告に明け渡した。
四 原告と被告は、右合意解約に際し、同年六月ないし八月の三か月分の未払賃料合計金五四万円について、保証金から充当することに合意した。
五 よって、原告は被告に対し、保証金四〇〇万円から右賃料を控除した残額三四六万円及びこれに対する請求の日である本訴状送達の翌日(昭和六一年一月一四日)から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第二 被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因第一項ないし第四項の事実を認め、抗弁として次のとおり述べた。
一 本件賃貸借契約においては、契約更新時に保証金償却分として金四〇万円を被告が取得し、同額の保証金を原告が補充する旨の特約があった。
本件のような契約期間中の中途解約における保証金償却についての明確な約定はなかったが、契約更新の際の保証金の一割償却約定に準じて、中途解約の本件の場合にも金四〇万円の償却が認められるべきである。
二 被告は次のとおり原告に対する合計金五四万八八〇〇円の損害賠償債権を有しているので、これを自働債権として原告主張の保証金返還債権と対当額で相殺する旨を昭和六一年三月一八日の本件口頭弁論期日において意思表示した。
1 店舗内便所移設費用 金二五万〇一〇〇円
原告は、本件店舗借受け後、既設の便所を自己の費用負担で移設したいと申し出たので、被告は、契約終了による店舗明渡しの際原状に戻すことを条件にこれに同意し、原告はその移設工事をした。
ところが、原告は店舗明渡しに際し、右原状回復義務を履行しなかったので、被告においてやむなくこれを行うこととなるが、その工事費用として金二五万〇一〇〇円の出費が必要である。
2 屋根雨漏り補修費用 金二九万八七〇〇円
賃借人である原告としては、その賃借物件について善良なる管理者の注意をもって保管する義務を負っているにもかかわらず、その義務を怠り、新築家屋である本件建物の二階屋根に直径約二センチメートルの穴のあいたのを放置し、その穴からの雨漏りのため天井を破損させ、そのため被告はその補修費用として金二九万八七〇〇円の出費を余儀なくされ、右同額の損害を受けた。
第三 原告は、被告の抗弁に対し、次のとおり述べた。
一 抗弁第一項中、本件賃貸借契約の特約条項として、契約更新時に保証金償却分として金四〇万円を被告が取得し、同額の保証金を原告が補充する旨の約定があったこと、契約期間途中の合意解約の際の保証金償却について明確な定めがなかったことは認めるが、その余は否認する。
二 同第二項1のうち、原告が自己費用負担で便所の移設の同意を求め、被告がこれに同意し、原告が移設工事をしたことは認め、その余の事実は否認する。
なお、本件店舗には、原告の明渡し後、ラーメン屋「先勝」が入居して営業しているが、同店は原告が移設した便所をそのまま使用している。
同第二項2のうち、本件建物に雨漏りがあったことは認め、その余の事実は否認する。原告は、昭和五九年三月に入居し、その後間もなく雨漏りに気付き、被告に修理するよう申し入れてあった。
第四 《証拠関係省略》
理由
一 請求原因事実は、すべて当事者間に争いがない。
そこで、被告の抗弁につき順次判断する。
1 抗弁第一項(保証金の償却)のうち、本件賃貸借契約の特約条項として、契約更新時に保証金償却分として金四〇万円を被告が取得し、同額の保証金を原告が補充する旨の約定があったが、契約期間途中の合意解約の際の保証金償却については明確な定めがなかったことについては、当事者間に争いがない。そして、前記請求原因事実に加えて、《証拠省略》によれば、原告は本件建物賃貸借後、三年間の契約期間の約半分を経過した昭和六〇年八月末日に、経営不振のため、被告と本件賃貸借契約を合意解約し、本件建物を明け渡したが、その際、本件保証金四〇〇万円については、同年六月ないし八月の三か月分合計金五四万円の未払賃料を保証金から差し引き充当することに合意したものの、保証金の償却については双方から何の話も出ず、その返還時期についても、原告が即時返還を求めたのに対し、被告を代理して解約交渉に当たった訴外三益商事こと石井敏昭(被告の雇主)は、次の入店者から保証金が入れば支払うなどとして支払わないまま推移したこと、本件賃貸借契約においては、保証金四〇〇万円の特約、契約更新時に保証金の償却分として金四〇万円を補充する旨の特約のほか、契約更新時に原告が被告に対し新家賃の一か月分を更新料として支払う旨の約定があり、右以外には権利金、敷金、礼金等の授受ないし支払約束はなかったこと、本件保証金は、原告が本件建物に損害を与えた場合の損害賠償金及び賃料債務の担保機能を有し、被告はその不払いがあったときは本件保証金をもってその弁済に充当できる旨の約定があったことが、それぞれ認められ、この認定に反する証拠はない。
右の事実によれば、本件保証金の中途解約の場合の償却について当事者間に明確な合意はなく、契約更新時に被告が取得する保証金償却分の性質は必ずしも明らかではないが、少なくとも、右償却金は本件建物の使用の対価たる意味をもち、賃貸人たる被告としては、契約更新時に金四〇万円を取得できるだけでなく、期間満了により契約が終了する場合にも契約更新の場合の前記約定に準じて金四〇万円を取得でき、また中途解約の場合にもその使用期間に応じたおよその按分額を取得することを被告は期待し、賃借人たる原告も契約時にそれを容認する意思を有していたものと認めるのが相当である。
したがって、被告は、契約期間の約半分に当たる原告の使用期間約一年半に応じて、保証金償却分金四〇万円の半額の金二〇万円を本件保証金残金三四六万円から差し引き取得できる権利があり、この限度で抗弁第一は理由があるが、これを超える控除の主張は失当である。
2 抗弁第二項1のうち、原告が自己の費用負担で便所の移設工事をすることにつき被告に同意を求め、被告がこれに同意し、原告が移設工事をしたことは、当事者間に争いがない。しかし、右移設工事を被告が同意するについて、将来契約終了による店舗明渡しの際、原告がこれを原状に戻すとの約束があったとの被告主張事実を認めるべき証拠はなく、かえって、《証拠省略》によれば、本件賃貸借契約においては、被告は原告が自費により建物店舗部分の造作、模様替等を行うことを認め(第一〇条特約)、造作、模様替については原告が自費をもって原形に復すか、あるいは無償にて残置するものとするとの約定(第五条)があったものの、本件合意解約の際、右移設便所の処置については被告側から原状回復の要求は出ず、その後本件店舗を賃借して入居したラーメン屋「先勝」は、原告が移設した便所をそのまま使用していることが認められるから、被告の右抗弁はその前提を欠き、失当である。
3 抗弁第二項2のうち、原告が入居後本件建物に雨漏りのあったことは当事者間に争いがなく、この事実と、《証拠省略》によれば、被告は、原告の本件建物明渡し後の昭和六〇年九月一五日ころ訴外畑川組に本件建物の屋根、天井について雨漏り補修工事を行わせ、同年一〇月三一日畑川組にその請負工事代金二九万八七〇〇円を支払ったことが認められる。しかし、右雨漏りが原告の賃借人としての賃借物の善管注意義務違反により生じ、又は拡大したことを認めるに足りる証拠は全くなく、かえって、《証拠省略》によれば、原告は本件建物入居後数か月して、二階台所上部に雨漏りのしみがあり、大雨の際それが拡がったことに気付き、被告の代理人として本件賃貸借契約上の一切の対応をしていた訴外三益商事こと石井敏昭の使用人の塩沢にその旨を告げたところ、被告側から修理屋が差し向けられ雨漏り箇所の確認をして行ったが、修理しないまま経過したことが認められるから、原告は賃借人としてなすべきことをしたというべきであり、被告の右抗弁もその余の判断を加えるまでもなく失当である。
二 以上によれば、原告の本訴請求は、保証金残金三四六万円から被告の償却取得分として認めた金二〇万円を控除した金三二六万円及びこれに対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和六一年一月一四日から支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 荒井史男)